宇宙での繁殖のはなし


こんにちは、外科医の後藤です。今日はヒトが宇宙に文明を築くことができるか、というテーマと切り離せない問題である、「宇宙空間での繁殖」について書こうと思います。

これまでにもちろん宇宙で生まれたヒトはおらず、哺乳類の実験においても宇宙での繁殖には長期的影響が不明な部分が多く残されています。

宇宙に人が居住する時代が来たら、人類はそこで世代を紡いでいけるのか。皆さんも一緒に考えてみてください。

これまでの宇宙での生物繁殖実験

これまでに宇宙で行われた生物の孵化、つまり卵をかえす実験については「ニワトリ」と「メダカ」の二種類があります。

鶏卵を返す実験については1992年、毛利衛宇宙飛行士がスペースシャトル内で行ったもので、8日間にわたって行われたその実験では、地上で産んでから0日、7日、10日のニワトリの卵を用いて微小重力下で孵卵を試みるものでしたが、結果は0日齢の卵だけが10卵中1卵しか孵化しませんでした。

原因としては、微小重力下では胚盤のある黄身の部分が卵の中央に留まってしまい、胚盤と卵殻が結合することで起こる血管の形成が妨げられたために、発生の初期で重要な栄養源を卵殻から得ることができなくなるということです。

つまり宇宙では、初期の卵を静置しておくだけでは孵化せず、重力を負荷するなどの処置をとらないと孵化しないということが考えられます。

 

メダカを返す実験については、1994年、向井千秋宇宙飛行士がスペースシャトル「コロンビア号」で行ったもので、4匹のメダカが15日間宇宙滞在しました。

このメダカは脊椎動物として初めて、宇宙で産卵を行いました。産卵された卵は43個で、そのうち8匹が孵化し、文字どおり”宇宙メダカ”が誕生したのです。

事前のパラボリックフライトによる実験で、視力に優れ微小重力でも正常に泳ぐメダカを選定したことも、成功のポイントでした。

 

それでは哺乳類はどうでしょうか。

1979年にソ連の研究グループが行ったラットの繁殖を試みた実験は失敗に終わり、さらに2009年に理化学研究所のグループが3Dクリノスタットを用いたマウス初期胚への微小重力の影響を調べ、微小重力の宇宙空間では胚の発育が阻害される可能性があることを報告しました。

3D-クリノスタットは広島大学発のベンチャー企業であるSpace Bio-Laboratoriesによって開発された、地上でスペースシャトル内と同じ10-3Gの微小重力環境を再現できる装置です。

3Dクリノスタット 出展:株式会社スペース・バイオ・ラボラトリーズ

しかし2016年に、国際宇宙ステーション(ISS)の日本実験棟「きぼう」でオスのマウスの35日間長期飼育が行われ、その間マウスの生殖器官や精子受精能力には異常は見られず、全匹生還しその後地上で生まれた次世代マウスへの影響も確認されませんでした。

 

さらには2017年、山梨大学の研究グループによって行われた哺乳類初の宇宙生殖細胞実験の成果が報告されました。

この実験では2013年8月に、宇宙ステーション補給機「こうのとり」4号機でマウス精子が「きぼう」へと届けられ、「きぼう」の冷凍庫で9か月間保存されました。

この間の宇宙放射線被曝量は、計178mSvで同期間の地上計測量のほぼ100倍に相当しています。

結果として宇宙保存精子のDNA損傷度の割合は、地上保存に比べ有意に高くなっていることが確認されましたが、興味深いことに顕微授精を行うと宇宙保存精子の大部分は卵子と受精し、正常な胚盤胞へ発生したのです。

受精後の精子由来の核DNA損傷度はおおむね減少しており、卵子が持つDNA修復機能により精子DNA損傷が受精後に修復されたため、正常な胚発生が可能であったのではと考察されています。

この宇宙保存精子由来の受精卵から73匹の「宇宙マウス」が誕生しており、出生率は地上保存精子で誕生したマウスとほぼ同じで、遺伝子解析でも宇宙保存の影響は見られず順調に成長して正常な妊性を示し、宇宙マウス同士の子供にも異常は見られなかったとのことです。

宇宙マウス飼育システムについて

生殖能力のみならず、宇宙空間の微小重力は筋萎縮や骨量減少などヒトの身体に様々な影響をおよぼします。

このような変化に対する重力の影響を詳細に調べるために、JAXAは軌道上で地球の重力(1G)以下にコントロールした環境でマウスを飼育できる、世界唯一の宇宙マウス飼育システム(Mouse Habitat Unit; MHU)を開発しました。

その結果が、先ほど説明した2016年から4回行われた「きぼう」でのマウス長期飼育ミッションであり、100%のマウス生存帰還を達成しています。

また2019年には、世界初となる“月と同様の重力環境(地上の約1/6)でのマウス長期飼育”を成功させました。

このミッションにより、以下の事柄が明らかとなりました。

  • 微小重力と1G環境では、脾臓などの二次リンパ器官の遺伝子発現に変化が生じる
  • 人工的過重量環境では、筋肉量が増加し骨造成に関する遺伝子発現も増加するが、反対に微小重量では低下する
  • 血管上皮細胞の変化により、網膜の壊死が起こる

この研究成果は、マウスなどの小動物ミッションで先行する米国との差を一気に縮めるものとなったのです。

下図はこのマウス実験で使用された宇宙マウス飼育システム(MHU)です。

出展:Development of new experimental platform ‘MARS’—Multiple Artificial-gravity Research System—to elucidate the impacts of micro/partial gravity on mice.

このMHUでは、動物個体だけでなく生殖細胞やES細胞(胚性幹細胞)を宇宙環境に静置し、地上帰還後にそれらの子孫を用いて宇宙環境の影響を調べるという実験も行われています。

これら宇宙での動物実験においては、日本のほか関連各国の動物実験実施規則に適合していることが求められ、現在は「きぼう利用戦略(第3版)アジェンダ2025」に基づいて、生命科学実験のテーマ選定や研究活動が行われています。

さらに宇宙航空研究開発機構(JAXA)は2020年4月14日、「きぼう」にて宇宙マウス飼育システムを利用した低重力ミッションをNASAと共同で2022年頃に実施することを発表しました。

この共同ミッションはJAXAがこれまで蓄積した0G、1/6G、1Gのデータと合わせて、未知のままであるマウスが低重力の環境において、どのような反応を示すのかについて体系的な評価を可能とするものです。

人間の重力閾値は1Gでなくてもよい可能性も指摘されており、この反応閾値の存在等が明らかになれば、将来の月面や火星探査における有人活動支援に向けた貴重なデータとなることが期待されます。

宇宙での人類の繁殖について

「きぼう」でのマウス長期飼育実験では、繁殖能力をはじめとした大きな成果を上げましたが、実際にヒトでどうかとなるとまだまだ多くの検証の余地が残されています。

宇宙空間でのヒトの生殖を想定した研究として、微小重力下でのヒト精子への影響を調べる研究を、2019年にスペインの研究チームが行っています。

これはヒトの凍結精子検体を載せた小型プロペラ機で、数秒かけて急上昇させてから垂直降下するといったアクロバット飛行を行うことで機内に微小重力環境を生み出し、ヒトの生殖に及ぼす微小重力の影響を調べることを目的とするものです。

論文はまだ査読段階で、精子が微小重力環境に置かれたのは9秒未満などの限られた条件下での研究ですが、ヒトの凍結精子への無重力環境での影響に関して初めて発表された実験結果となり、重力の低下が凍結精子の健康状態にごくわずかな影響を与えることを示唆しています。

地上で数秒間の微小重力環境において、精子への影響が調べられた 出展:THOMAS FREDBERG/GETTY IMAGES

また2018年4月、NASAが微小重力状態における人の精子への影響についての研究を開始しており、ヒトの凍結精子検体を国際宇宙ステーション(ISS)に送っています。

NASAはその結果を公表していないようですが、こうしたプロジェクトは火星ミッションなどの長期宇宙滞在者の繁殖能力について調べることと、将来的には地球外で誕生したヒトの赤ん坊がどのように生存していけるのかを明らかにするための、初期段階の取り組みとなり得ます。

ケネディ宇宙センターで、精子検体のISS打ち上げに向けて準備を進める研究者たち  出典:NASA

微小重力のほか、宇宙放射線の問題も宇宙空間でのヒトの生殖にまつわる懸念となり、マウスと同様にオスの精子での実験の次には卵子や最終的には胚に対する影響も精査する必要があると考えられます。

 

宇宙に短期滞在して帰還する段階ではまだよいですが、長期居住となると宇宙での世代の継代という問題は避けて通れません。

さらに妊娠中や出産時の母体と胎児の安全性、無事出産できても幼少期を宇宙空間で過ごすことにより成長過程の身体にどのような影響が出現するかは全くわかっていません。

宇宙空間に地上と全く同様の環境を再現できる技術がまだ存在しない以上、今後人類が月面や火星に生存圏を広げていく取り組みにおいて、宇宙での繁殖の問題は十分な議論を必要とするテーマであると思われます。

参考文献

  • Down-regulation of GATA1-dependent erythrocyte-related genes in the spleens of mice exposed to a space travel. Sientific Report, 2019
  • Hypergravity and microgravity exhibited reversal effects on the bone and muscle mass in mice. Sientific Report, 2019
  • Impact of Spaceflight and Artificial Gravity on the Mouse Retina: Biochemical and Proteomic Analysis. Molecular scisence, 2018
  • Development of new experimental platform ‘MARS’—Multiple Artificial-gravity Research System—to elucidate the impacts of micro/partial gravity on mice. Sientific Report, 2017
  • 宇宙生まれ”のベビーが誕生する日は訪れるのか? 微小重力下での生殖に関する研究が進行中 Nature WIRED
  • Healthy offspring from freeze-dried mouse spermatozoa held on the International Space Station for 9 months. 
  • JAXAホームページ:宇宙環境と宇宙での生活に関するQ&A
  • 宇宙空間における動物の行動と発生 化学と生物 Vol.37, No.6, 1999
  • 国際宇宙ステーションにおける動物実験とその枠組み 宇宙航空環境医学 Vol.55, No.1, 2018
  • JAXAとNASA、宇宙マウス飼育システムの共同ミッションを「きぼう」で実施へ  sorae

投稿者プロフィール

後藤正幸
後藤正幸
「宇宙に、医療を」目標とする脳神経外科医。医療分野での宇宙ビジネス創出を目指して、日々活動中。最新の宇宙医学研究を、多くの人に分かりやすく伝える発信を行なっている。