宇宙での2つの酔い、「宇宙酔い」と「重力酔い」

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こんにちは、外科医の後藤です。

微小重力での宇宙では、宇宙到着直後に生じる「宇宙酔い」と、宇宙滞在後に地上の重力環境に帰還した際に起こる「重力酔い」が存在します。

「宇宙酔い」初飛行では3人中2人が経験すると言われ、宇宙到着後から数日間続きます。

国際宇宙ステーションでの長期ミッションではごく初期の問題かもしれませんが、今後はじまる数分間の宇宙滞在である弾道飛行での宇宙旅行では、大きな問題として再認識される可能性が考えられます。

一方「重力酔い」については、今後の有人火星探査において数か月間の宇宙飛行後に、約0.38g(地球重力=1g)という火星重力圏に入った際、飛行士の身体自由に大きく影響を及ぼす可能性があり、重要な課題となっています。

今日は、宇宙での2つの「酔い」について、最新の研究結果を説明します。

宇宙酔いを引き起こす、感覚の不一致

地球上で人は、目からの情報である視覚・耳の奥にあり直線加速度や重力を感知する前庭系・脚の筋肉や腱と地面との接触情報である体性感覚の3つを合わせて、自らの姿勢を認識してしています。

宇宙酔いの発生は、微小重力の宇宙では人が姿勢を維持するのに必要な視覚・前庭系・体性感覚のうち、視覚を除く2つの感覚情報が地上と異なるため、これらの感覚を統合する脳が混乱を起こすために生じると考えられています。(下図)

地上:各器官からの感覚情報を統合し、人は自分の姿勢をコントロールしている

 

宇宙:前庭と筋肉・腱からの感覚情報が変化し、姿勢維持に必要情報の統合に狂いが生じる

また、宇宙酔いには微小重力による体液シフトが一因とする説や、左右の前庭系の感覚の違いが微小重力で修正できなくなるから、といった説もあります。

 

宇宙酔いに対する打ち上げ前の対策として、ロシアでは回転椅子で頭部を振る訓練が推奨されています。

また宇宙では、スペースシャトル時代に「プロメタジン」という局所麻酔薬を筋注することで良い結果を得たため、使用されているようですがその作用メカニズムは明らかではありません。

宇宙酔いについては多数の研究が行われてきたにもかかわらず、未だその根本原因の解明は得られていません。

宇宙酔いは一時的な現象であり、長期宇宙滞在では大きな問題とはならないようですが、弾道宇宙旅行での貴重な数分間では大きな問題となる可能性があるため、今後対策が求められるでしょう。

宇宙酔いと重力酔いに重要な役割を果たす「前庭系」について

人の姿勢の維持に重要な役割を果たすのが、耳の奥にある「前庭系」という部分です。

前庭系は直線加速度・重力の感知器官であり、重力の大きさや方向の変化を感知して

  • 姿勢の制御
  • 眼球運動
  • 自律神経や血圧

など多くの身体機能調節に関与しています。

前庭系のイメージ:前庭系は、回転角加速度を感知する半規管と、直線加速度を感知する耳石器(卵形嚢•球形嚢)からなる

例えば仰向けから立位に姿勢を変換すると、重力の影響で下半身に血液が貯留し、心拍出量(心臓から送り出される血液量)が減少します。

健康成人では前庭-血圧反射(前庭による血圧の調整)が正常に機能しているため、通常これにより血圧が低下することはありません。

しかし前庭機能が低下すると、起立性の低血圧が生じ場合によっては失神を招くこともあります。

 

前庭系は可塑性が高いことが知られており、異なる重力環境にさらされるとその機能が変化します。

微小重力の宇宙では前庭への入力はほとんどゼロになるため、その環境で空間での自身の位置を認識し、調節を行うためには前庭は自らの機能を変化させる必要があります。

国際宇宙ステーションに6か月滞在した宇宙飛行士の前庭-血圧反射はほとんど働かなくなっており回復には2か月を要するという研究報告があります。

この前庭機能が低下している飛行士ほど、帰還時に起立時の血圧が低下することも分かっています。

 

ここまでお話ししたように、前庭系は酔い・姿勢制御・血圧調節などに関与することから、前庭系を効果的に刺激することで問題が解決される可能性があります。

その一例として、GVS(galvanic vestibular stimulation)という方法が現在注目されています。

これは外部から前庭の神経に弱い電気刺激を与えて前庭機能を抑制すものですが、これによって前庭-血圧反射の低下が改善し、宇宙飛行士6名中4名で宇宙から帰還時の起立性低血圧が改善しました。

 

さらに前庭系は筋・骨代謝にも関与しており、前庭-交感神経反射(前庭による交感神経の調整)を介して過重力では筋量・骨量増加が起こることが報告されています。

筋・骨代謝に関するGVSの効果に関する報告はまだありませんが、その効果が確かめられれば宇宙飛行士だけでなく、地上での寝たきりや加齢による廃用性筋骨萎縮の問題解決にもつながる可能性があるのです。

有人火星飛行での難題、重力酔いへの対応

長期宇宙滞在から地球帰還時には、重力再適応による激しい前庭症状、「重力酔い」が宇宙船からの緊急脱出を妨げるため、大きな問題となります。

ここまでお話したように、前庭系は姿勢制御・眼球運動・自律神経調節・筋と骨代謝など多くの身体機能に関与しています。

前庭系は環境に適応する機能が優れており、地上では地球重力の1g環境に適応していますが、数か月宇宙で生活するとすっかり微小重力に適応してしまい、再度重力環境に戻った際に強い酔いを引き起こすというわけです。

 

この問題は近い将来の有人火星飛行においても、懸念されている問題です。

宇宙船内で数か月間の無重力環境で過ごした後に、約0.38gという火星重力圏に入った際、重力による激しい酔いを引き起こす可能性があります。

無重力に長期間慣れた前庭系は、重力環境にすぐには適応しません。

JAXAの古川宇宙飛行士は、5か月間の宇宙滞在後に地上帰還後、「宇宙では身体が逆さまでも斜めでも浮いていられるため、地上ではどこまで身体を傾けたら転ぶのかが分からなかった」とコメントしています。

これは宇宙で前庭系が無重力仕様となり、姿勢調節の機能が大きく変化していたためと考えられ、その後45日間のリハビリプログラムに取り組み、身体は徐々に宇宙飛行前の状態に戻っていったとのことです。

つまり、この「重力再適応」についても筋萎縮・骨量減少と同様に、重力環境帰還後に長期のリハビリテーションが必要という事です。

 

重力酔いを起こした状態で、クルーが無事に着陸制御を行い、着陸後すぐに現地ミッションを開始できるのかという問題があります。

そこで例えば以下の方法は、長期宇宙滞在に伴う生理学的変化の予防・軽減策として期待されています。

  • 宇宙船内に短腕式遠心器を設置し、軽度過重力を供給する
  • 弱い電流により、前庭系を効果的に刺激する(GVS)

技術的解決法としては、火星重力圏突入時には宇宙船を全自動操縦に切り替えるなどの対策も考えられているようです。

宇宙医学は加齢医学と密接な関係をもつことから、宇宙酔いの研究は、加齢によるめまい・加齢性平衡感覚低下の解明につながる可能性があります。

さらに前庭系は筋・骨代謝に関与することから、高齢者の骨粗鬆症やサルコペニアの予防や治療にもつながるのではと期待されています。
 
 
 
ところで宇宙酔い、重力酔いに加えてさらに、宇宙で飲酒したらどうなるのか?
 
宇宙での酔いについては、こよいも関心が尽きません。
 
 

参考文献

  • 1週間の微弱前庭電気刺激は起立時血圧調節を改善させる 宇宙航空環境医学 Vol. 58, No. 1, 36-37, 2021
  • 視運動性眼振と開眼起立時血圧応答の関係 宇宙航空環境医学 Vol. 56, No. 4, 60, 2019
  • 軽度過重力負荷中の動的脳血流自動調節能の経時変化 宇宙航空環境医学 Vol. 56, No. 4, 63, 2019
  • 微小重力・過重力に対する前庭系を介する応答  生体の科学 69(2): 127-132, 2018
  • 宇宙医学における前庭平衡科学:グラビティ・バランスの進歩  宇宙航空環境医学 Vol. 54, No. 4, 2017
  • 宇宙飛行士の健康管理と前庭機能  宇宙航空環境医学 Vol. 54, No. 4, 2017
  • 内耳前庭系の可塑的変化が引き起こす帰還後deconditioningとその対策 宇宙航空環境医学 Vol. 53, No. 4, 2016
  • 有人人工重力研究の歴史と展望 国際宇宙ステーションを越えて、月基地、火星探査へのロードマップ Space Utiliz Res, 30, 2016
  • 特集「宇宙医学」 1.長期宇宙滞在時に解決すべき医学的課題~循環制御関連を中心に~ 循環制御 36(2), 2015
  • Asymmetric Otolith Function and Increased Susceptibility to Motion Sickness During Exposure to Variations in Gravitoinetrial Acceleration Level. Aviat Space Environ Med 58(7): 652-7, 1987

投稿者プロフィール

後藤正幸
後藤正幸
「宇宙に、医療を」目標とする脳神経外科医。医療分野での宇宙ビジネス創出を目指して、日々活動中。最新の宇宙医学研究を、多くの人に分かりやすく伝える発信を行なっている。