宇宙での眼の問題について

こんにちは、外科医の後藤です。今日は宇宙での””に関する問題について。

人間が五感により受け取る情報のうち8割は視覚が占めているとされており、眼は人間の感覚器で最も重要なものの一つです。

さらに、前庭や深部感覚といった重力によって自分の位置情報を認識する機能が低下する宇宙空間においては、視力は地上以上に重要となる能力かもしれません。

しかし、近年の研究では宇宙滞在によって様々な視力の問題が生じることが報告されてきています。

今日はそれについて説明します。

宇宙環境が眼に与える影響

宇宙飛行士は健康状態に問題がない人が選ばれるわけですが、特に”微小重力の影響を強く受ける部分’’を重点的に評価されるようです。

具体的には心臓血管、骨量、そして視力です。

一口に視力といっても色々な眼の能力がありますが、主に合格しなければならない視覚能力は、視力・色覚・三次元視覚です。

眼鏡やコンタクトレンズは禁止されておらず、JAXAの平成20年度宇宙飛行士募集要項では「両眼とも矯正視力1.0以上、色覚は正常である」ことが応募条件でした。

宇宙でのコンタクトレンズ使用は、特に問題なく行えるようです。

また、以前は外科治療により視力を矯正をすることは認められていませんでしたが、近年はレーザー手術は術後1年経過していればよいと変更されています。

 

微小重力という宇宙環境で生活することは、人間の視力にどんな影響を与えるのか。

近年の研究では、宇宙滞在した飛行士の眼底に、「乳頭浮腫」と呼ばれる視神経乳頭の発赤や腫脹がみられることが指摘されるようになりました。

視神経乳頭とは、脳と眼球をつなぐ神経である視神経や、眼球を栄養している血管(網膜中心動脈など)の出口です。

その他、眼球後部の平たん化、つまり丸い眼球が視神経によって後方から押されて平らになっていたり、その結果として網膜にしわが寄っていたりといった所見が認められることがあります。

眼球解剖図:視神経乳頭は、眼底(図の網膜・脈絡膜の存在する部分)に含まれており、脳から出る視神経の眼球側の出口である

宇宙滞在後の飛行士(右)には、眼球後部の平たん化が見られることがある 出展:NATURAL GEOGRAPHIC

結果として近距離視力の低下、つまり遠視化が起こるとされ、300人の宇宙飛行士を対象とした調査では、短期ミッション経験者の23%、長期ミッション経験者の48%が近くの見えにくさを訴えていました。また、Cotton wool spotsといい白いもや状の視野欠損を認めた飛行士もいました。

宇宙滞在中には遠視化が起こり近くが見にくくなったり(左図)、cotton wool spotsといい視野の一部が白い斑点によって欠落したりする(右図) 出展:NASA

宇宙での視力低下は、なぜ起こる?

宇宙での視力低下がなぜ起こるのかは、いまだはっきりと分かっていません。

有力な説としては、微小重力による体液シフト(身体の水分が上半身に移動すること)により、頭部や眼球の血管、脳脊髄液が増加して頭蓋内圧が上昇することが一因と考えられています。

頭蓋内圧とは頭蓋骨という固い容器内の圧力のことで、脳脊髄液圧とも呼ばれます。

頭蓋骨内の空間に存在する、脳・脳脊髄液・脳血液いずれかの容量に変化が起こることで頭蓋内圧が上昇したり低下したりといったことが起こります。

視神経乳頭浮腫を来した宇宙飛行士の帰還後に、腰椎穿刺(背中に針を刺して、脳脊髄液圧を計測する検査)によって得られたデータによると、帰還後日数は異なるものの、一人を除いて脳脊髄液圧(=頭蓋内圧)が亢進していました

また、眼球後部が平たんとなっていた宇宙飛行士は、そうでない飛行士に比べて視神経鞘(視神経の周囲を包んでいる、髄膜という膜構造)の幅が飛行前と比べて平均1.4mmも拡大していたという報告があります。

その原因として、下図のように視神経(黄色部分)の周囲を取り囲む、くも膜下腔(水色部分)に体液が流れ込んで視神経鞘が腫れ上がり、さらに狭いスペースで行き場をなくした視神経が眼球を前方へ圧迫する結果、視神経の圧迫部分が腫れて視神経乳頭浮腫を起こすという説があります。 (出典:NASA)

 

このように、宇宙滞在後の視神経乳頭浮腫については、頭蓋内圧が上昇しているからと以前は考えられていたため、VIIP(Visual Impairment Intracranial Pressure Syndrome:視覚障害頭蓋内圧症候群)と呼ばれていました

しかし近年、頭蓋内圧上昇が見られない例が発見されたり、頭部の体液循環の最新研究において脳脊髄液の流れの変化や、眼球後部への局所的圧上昇などの新たな結果も見つかっています。

以上のことから視神経乳頭浮腫の原因は単なる頭蓋内圧の上昇では説明しきれず、2017年にSANS(Spaceflight-Associated Neuro-Ocular Syndrome)という名称に変更されました。

 

その後まもなく、長期宇宙滞在後の飛行士では地上へ帰還後に脳が上方変位していることがMRIにより明らかにされました。

脳は頭蓋骨という容器内で脳脊髄液というプールに浮かんでいるため、その中でわずかに漂うことができます。

脳が上方変位しているとは、脳が頭蓋骨内で通常よりもわずかに頭のてっぺん方向へ移動しているということです。

宇宙滞在した飛行士(右)では、脳溝(脳表面のしわ)が狭くなっており脳が上方変位していることを示している 出展:Effects of Spaceflight on Astronaut Brain Structure as Indicated on MRI.

視神経乳頭浮腫の原因として、現在では

  • より複雑な頭蓋内圧の日内変動
  • 脳脊髄液の循環変化
  • 眼圧と頭蓋内圧のバランス変化
  • 眼球後部の局所的な脳脊髄液圧増加
  • 遺伝的要因

なども関与する可能性が指摘され、研究が続けられています。

宇宙での眼の観察機器について

飛行士の長期宇宙滞在から大切な視力を守るために、宇宙で眼球の様子を簡易的・定期的に評価できる機器が求められます。

その役割を果たすのが、網膜・脈絡膜や視神経乳頭の断面を非侵襲的に撮像できる機械で、地上の医療でも広く利用されている光干渉断層計(OCT; Optical Coherence Tomography)です。

OCTはMRIの10倍の解像度であり、マイクロメートル単位での測定が可能でISSにも搭載されています。

さらにOCTだけでなく、マルチカラーという疑似カラー画像も撮像できる機種が、2018年にISSへ打ち上げられました。これにより、網膜の深さ情報をより詳細に得られると期待されています。

 

」という観点から宇宙開発に大きな役割を果たそうとしているのが、製薬や医療機器開発分野で事業を展開するバイオベンチャー企業、窪田製薬ホールディングスです。

同社は2019年、NASAと眼科診断装置の開発受託契約締結を発表しました。

これはコピー機ほどの大きさの診断機器を双眼鏡サイズにまで小さくしたもので、宇宙船にも搭載できるサイズで使い方もよりシンプルで確実なものとなっているとのことです。

宇宙滞在者の地球帰還後の視力障害を予防するための、重要な役割を果たすと期待されています。

宇宙での眼の問題は解決しうるか

現在、宇宙滞在による視神経乳頭浮腫に対する確立された治療はありません。

視神経乳頭周囲の脳脊髄圧が、視神経を圧迫している可能性が指摘されているので、Lower body negative pressure (LBNP) 下半身陰圧負荷装置を使用して視神経周囲の圧を下げてやることが解決に役立つかもしれません。

しかし、脳自体の上方変位による視神経の牽引も原因として考えられているため、難しい問題です。

ISSで腹圧を高める運動を行うことや二酸化炭素濃度の増加、食事などによるナトリウムの過剰摂取によって脳脊髄圧が亢進する可能性も指摘されています。

骨量減少や筋萎縮はレジスタンストレーニングや食事・薬剤によってかなり防止することができるようになってきていますが、視力の問題についてはこれらの方法で予防をはかることが困難です。

人工重力装置による重力負荷が解決の突破口となるか、生理的機序が究明され他の予防方法が確立するか。

眼の問題は宇宙での人の生活に直結する緊急課題であり、世界中で様々な角度からの研究が続けられています。

参考文献

  • Space Flight-Associated Neuro-ocular Syndrome. JAMA Ophthalmol, 2017 
  • Effects of Spaceflight on Astronaut Brain Structure as Indicated on MRI. N Engl J Med, 2017 
  • Association of Space Flight With Problems of the Brain and Eyes. JAMA ophthalmol, 2018
  • Spaceflight-Induced Intracranial Hypertension and Visual Impairment: Pathophysiology and Countermeasures. Physiol Rev, 2018
  • Lower body negative pressure to safely reduce intracranial pressure. J Physiol, 2019
  • Brain Upward Shift and Spaceflight-Associated Neuro-ocular Syndrome. JAMA ophthalmol, 2019 
  • We are Human Health and Performance, NASA
  • 平成20年度 国際宇宙ステーション搭乗 宇宙飛行士候補者 募集要項 JAXA
  • 宇宙滞在のヒト循環系への影響  生体の科学 69(2): 123-126, 2018
  • DSPACE 読む宇宙旅行 2016年7月21日 三菱電機  ライター 林 公代  
  • MOON LANDING 50th ANNIVERSARY 月面着陸50周年記念サイト ―挑戦― 宇宙飛行が当たり前になる時代、「眼の病気を研究し地球の人の役に立ちたい。」CEO 窪田 良
  • Space Life Story Book 宇宙飛行士の声を起点に考える暮らしをよりよくするためのヒント集  JAXA

投稿者プロフィール

後藤正幸
後藤正幸
「宇宙に、医療を」目標とする脳神経外科医。医療分野での宇宙ビジネス創出を目指して、日々活動中。最新の宇宙医学研究を、多くの人に分かりやすく伝える発信を行なっている。
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