【宇宙でのヒトの身体の変化2】体液の頭部方向シフト

こんにちは、外科医の後藤です。

宇宙空間でのヒトの身体の変化について、今回は体液の頭部方向シフトについて説明します。

無重力では、体液は上半身へシフトする

地球上で暮らすヒトの身体は、日常的に重力による影響を受けています。ヒトの身体の約60%は水分、つまり血液を含めた「体液」ですが、これらは重力によって足の方向に引っ張られています。そうすると、本来であればどんどん足がむくんでしまうはずです。

しかしこの状況に適応するため、二足歩行動物となったヒトは血液を上方へ押し上げる作用、つまり下肢の血管収縮や筋ポンプ作用を獲得しました。

ところが、重力の影響をほぼ無視できる宇宙空間では、そもそも下半身に体液が引っ張られることがなくなるため、全身の体液が頭部方向へ移動し、上半身に過剰に体液が集まってしまいます。これを「体液シフト」といい、移動する体液の量はなんと1〜2リットルにもなります。

これだけの水分が下半身から上半身に移動すると、ムーンフェイスと言われるほどに顔はむくみ、人相がかなり変わります。逆に足はバードレッグと表現されるほど細くなるのです。

2リットルもの血液が上半身に移動して、心臓や脳の血管は大丈夫なのか?と心配になるかもしれません。しかし、顔のむくみなどは多くは一過性であり、最初の2,3日から1週間くらいがピークで、2週目以降は次第に減っていきます。

その理由は、体液シフトが起こると心臓に戻る体液が増え、身体は体液は増えたと錯覚するため、ホルモンや自律神経の働きで尿を増やそうとすることで体液が減少するからです。1ヶ月もするとほとんどの人が元の顔に戻ります。

無重力という経験したことのないはずの特殊環境にも、人間の身体は思った以上に上手に適応するようですね。ただし、これには個人差があり顔のむくみが最後まで治らない飛行士もいるようです。

地球帰還により体液は下半身へシフトし、起立性低血圧を引き起こす

宇宙から地球帰還した直後には、立っていると脳血流が不足して立ちくらみや失神が起こる、「起立耐性低下」という現象が起こります。理由は、宇宙で体液が減るためと無重力状態で心筋や下肢の筋委縮などから、血圧が低下して脳血流を保てなくなってしまうためです。また、脳は血圧が変動しても脳血流を一定に保つ働き(脳血流自動調節能)がありますが、この調節機能が何かの理由で障害されるのではという可能性も考えられています。肉体的にエリートであるはずの宇宙飛行士が、地上に帰還してすぐふらふらになり立ち上がれなくなっているのはそのためです。

これを防ぐために、大気圏突入前の飛行士はイオン水などをあらかじめ2Lくらい飲むことで脳血流低下に備えたえり、下半身を締め付けるウェットスーツのようなものを装着して、体液が急に下がらないようにするなどの対策がとられているそうです。これらによって、帰還後の起立性低血圧はだんだん少なくなってきました。

長期宇宙滞在では、認知機能低下や視力低下のリスクも

体液シフトは宇宙での一過性の現象で大きな問題は起こらないとされてきましたが、宇宙滞在が長期化すると脳の神経細胞が減少したり、さらに視力が低下することもあるという衝撃的な事実が最近分かってきました。これらは宇宙滞在が長くとも2週間くらいであったスペースシャトル時代には報告されず、国際宇宙ステーション利用開始後に6か月を超えた宇宙滞在が行われるようになってから明らかとなったことです。

宇宙に長期滞在した飛行士の脳をMRIで調べると、灰白質といい神経細胞の細胞体が存在している部位の体積が、1.2%ほど減少していたのです。これは体液シフトにより脳脊髄液(脳の内部および周囲を循環し頭蓋骨内部で脳のクッションのような働きをしている無色透明な液)が増加して、脳細胞が圧迫を受けた影響とでは考えられます。また、脳自体が上方に変位して脳溝(脳表面のしわ)が少なくなるなどの変化も分かりました。

これらによる長期的な認知機能低下の可能性についてはまだ不明であり、今後有人火星飛行や月面居住など長期宇宙滞在において、大きな影響を与えるものとして注目されています。

宇宙に長期滞在した宇宙飛行士の脳のMRI画像(左:出発前 右:地球帰還後) 出典:New England Journal of Medicine 2017; 377:1746-1753

 

視力障害については、宇宙飛行初期から指摘されていました。国際宇宙ステーションに長期滞在する宇宙飛行士の中に、眼球の機能的・形態的な変化を示した例が見つかってきました。長期間の宇宙滞在を終えて地球に帰還した宇宙飛行士の多くが、視覚障害に悩まされます。原因は長らく不明でしたが、米国の研究チームが2016年に眼球の形態変化を明らかにしました。体液シフトにより過剰になった脳脊髄液のせいで、眼の裏側の圧力が高まり眼球を押しつぶしてしまうというのです。宇宙飛行士の中には、地球に帰ると重力のおかげで視覚障害が治る方もいますが、不幸にも視力が戻らない宇宙飛行士もいるということです。宇宙滞在による視覚障害の治療法はまだ分かっておらず、研究が進められています。

長期宇宙滞在後の飛行士の眼球MRI(右)。眼球が後方から平らに押しつぶされている。 出典:NATURAL GEOGRAPHIC

 

宇宙長期滞在は、今後の火星飛行や人類の月面移住などを見越した試みでしたが、身体に与える影響としては未知の所見が出てきているようです。宇宙という過酷環境でヒトが暮らすためには、今後も多くの研究とデータの蓄積が求められています。

 

参考文献

  • 宇宙医学入門 マキノ出版
  • NATIONAL GEOGRAPHIC
  • New England Journal of Medicine
  • 宇宙滞在のヒト循環器への影響 生体の科学69(2):123-126, 2018

 

投稿者プロフィール

後藤正幸
後藤正幸
「宇宙に、医療を」目標とする脳神経外科医。医療分野での宇宙ビジネス創出を目指して、日々活動中。最新の宇宙医学研究を、多くの人に分かりやすく伝える発信を行なっている。