宇宙空間での医療

こんにちは、外科医の後藤です。これまでは宇宙という環境でヒトの身体にどのような影響が生じるかについてお話してきましたが、今日は宇宙でどのような「医療」が実際に行われているかと、今後の有人宇宙開発で解決が求められる医療課題について説明します。

宇宙でけがや病気になった場合

宇宙飛行士は皆高い水準の医療応急処置訓練を受けており、国際宇宙ステーション(International Space Station:ISS) には救急キットはじめ鎮痛剤、局所麻酔薬、抗生物質など様々な医薬品が用意されています。そのうえISSにはクルーメディカルオフィサーという医療担当飛行士が在駐していて、けが人や病人が出たら地上の医師と交信しながら診断を行い、治療にあたるそうです。点滴や投薬はもちろん、傷口の縫合や虫歯の抜歯、救急医療現場で行われるような応急外科手術まで可能とのこと。微小重力の宇宙空間では、転んでけがをするというはない代わりにハッチを勢いよく通り抜ける際や曲がり角で勢いよく頭をぶつけたり、目を受傷したりということがあるようです。将来の宇宙居住空間には、ISSのような壁中金属製の機械が飛び出している状況ではなく、より滑らかで弾力性のある壁や床などが素材として求められるかもしれませんね。

また、心停止を起こすような緊急事態に備えAED(自動体外式除細動器)も設置されています。ここで問題となるのは、地球と違い重力で患者が地面に横たわっているような状況ではないため、まずは患者を施術台に身体をしっかり固定する必要があります。でないと心臓マッサージをしようと身体を押したとたんに、どこかに飛んで行ってしまいリアル気功拳の発動となります。ISSでは現在、CMRS(Crew Medical Restrain System)といい外傷による脊椎固定や除細動時など安静が必要となる患者の身体を固定する器具が使用されています。さらに、心肺蘇生処置を行う方も、自分の身体をストラップなどで固定し押した反動で浮き上がるのを防ぐ必要があります。心停止などの事態は起こらないことが一番ですが、万一のために身につけなければならない技術です。

宇宙空間での心肺蘇生処置(心臓マッサージ・気道確保と酸素マスクでの換気・循環作動薬の使用など)には、患者と施行者両方の身体固定が必須となる

 

安静が必要となる患者を固定するための器材 CMRS(Crew Medical Restrain System)           出展:NASA USRP Internship – Final Report

 

火星への飛行、超長期宇宙滞在での医療課題

2018年7月にJAXA(宇宙航空研究開発機構)の宇宙探査センターが発足し、人間が現実に行くことができる天体として月と火星の探査を行うプロジェクトが始まりました。まずは月面探査を行い、技術開発と資源探索を行って、月を拠点としていよいよ火星を目指すシナリオが想定されています。探査ミッションとしては月探査1年間、火星探査3年間で途中帰還不可を前提として検討されているため、前例のないこの超長期宇宙滞在で人体に起こりうる問題を一つ一つ解決していくことが求められています(将来有人宇宙活動に向けた宇宙医学/健康管理技術の技術ギャップ一覧)。

月面はともかく、火星となると通信に要する時間は地球に接近時で4分・遠方時で40分を要するため、現地で医療を必要とする何らかの身体問題が起こった場合に地上の航空宇宙医師(フライトサージャン)のリアルタイム支援を得ることはできず、宇宙船内や現地で問題を分析し、解決することが求められるのです。

身体診察の基本として、まず重要なのが診断に必要となる主訴・既往歴・現病歴などの情報を患者から聴取する問診です。さらに身体所見を診察し、現症を把握することで適切な診断を下すことが可能になります。

  • 主訴:傷病者の訴え
  • 既往歴:傷病者の過去の病歴
  • 現病歴:現在起こっている問題ヒストリー
  • 現症:身体所見、検査結果

以上の事項を、必ずしも医療の専門家ではない宇宙船のクルーが素早く正確に把握することが求められるため、これらを定型的に評価判断できるシステムの構築が求められると考えます。医療者であれば、これらの情報から可能性のある疾患を経験的にいくつか想定することができますが、これをオートメーションする必要があると考えられます。例えば、

  • 主訴:腹痛
  • 既往歴:5年前に大腸の手術を受けている
  • 現病歴:昨日から徐々に痛みが広がっており、2-3時間毎に増悪と改善を繰り返している
  • 現症:痛みは腹部全体、腹部は固く反跳痛(圧迫した時よりも手を離したときに痛みが強い)を認める

これらの項目を選択肢から選んで入力すると、可能性の高い疾患が順に羅列され、さらに超音波などの画像検査や血液検査などを行うとその結果から、候補が絞り込まれるイメージでしょうか。AIを用いた医療診断としてすでに類似の技術を実用化している海外のスタートアップも存在し、臨床症状とさらに簡易な画像検査などと組み合わせることで、宇宙での応用は可能と考えられます。地上でも医療機関の遠い地域での急病などにおいて、スマートフォンのアプリケーションで患者さんの家族や救急隊が状況を入力し、予想される疾患から初期対応や適切な搬送医療機関をAIが選定するといった応用が可能かもしれません。

また、現在地上ではCT・MRI・血管造影装置など診断に威力を発揮する高解析度の画像機器が登場していますが、宇宙船内には大型の機器を持ちこむことができないため、最小限度の機器により診断を確定することが要求されます。宇宙船内に持ち込める可能性のある画像機器としては超音波(エコー)が考えられますが、現状では使用技術により診断精度に差が出てしまうため、更なる操作性と描出力の向上が求められるでしょう。CTとしても、海外では救急車に搭載できるCTや日本でも小型CT搭載車が登場しており、微小重力や放射線環境といった問題をクリアして宇宙向けに改良できれば診断の大きな助けとなることが予想されますね。

さらに、数年という時間を宇宙で過ごす場合、心疾患・代謝機能異常・免疫機能低下など遺伝的要因が関連する疾患の発症頻度が高まると考えられます。家族歴が一つの情報となりますが、さらに現在は特定の病気になりやすい遺伝子診断が可能となってきていますヒト1人の全ゲノムスキャンは2001年には100億円以上が必要でしたが、ゲノム解析技術の進歩により2030年には100ドル程度で可能となると予測されています。その技術を用いて、ある特定の疾患にかかりやすい遺伝子を有することが分かった場合、遺伝子配列そのものを編集することができるようになる時代がそこまで来ています。これからのゲノム解析はバイオインフォマティクス(生物情報科学)、つまり生物という存在をデータとして捉え、コンピュータサイエンスの手法で解析していく技術が進むと予想され、実際に遺伝子解析サービスを行うベンチャー企業も誕生してきています。遺伝的疾患があるからいう理由で超長期宇宙滞在を再考するよりも、出発前に予防的治療を完遂できるようになるかもしれません。

宇宙で手術が必要かについての判断基準

宇宙空間での医療資源は限られており、ミッション期間が超長期にわたる状況で、リソースおよびニーズを見極めたトリアージが必要となります。つまり、現地で使用可能な医療機器および薬剤と、傷病者に対する治療介入の必要性を合わせて検討し、方針を決定する必要があるということです。

特に手術が必要になるケースにおいて、実施可否判断として、手術という侵襲(生体を傷つけること)に耐えられる全身状態か、術後は宇宙空間で安定して管理可能かなどを考慮したガイドラインが必要になります。一般に全身麻酔を行う手術の判断として、心肺機能に問題がないこと、つまり血行動態が安定し重篤な不整脈がなく心臓が正常に機能していること、肺機能が基準以上で感染症などに罹患していないことなどが条件として挙げられます。宇宙空間でもこの前提は変わらないでしょう。宇宙での麻酔や全身管理については、医師である石北直之氏が開発しNASAにも採用された超小型の「吸入麻酔器」が威力を発揮すると考えられます。

さらに、術後は感染症を発症する可能性もあり、清潔管理や免疫力を維持するための栄養管理も求められます。免疫を維持する宇宙食品の開発は多くの研究機関で進められており、これらを十分生かしていくことが重要です。免疫力の低下は創部感染(傷口からの菌の侵入)や縫合不全(傷口が癒合しないこと)を引き起こすリスクを高めるため、健常な状態から宇宙船内でのクルーの免疫力を十分高めておくことが必要と考えられます。

もし術中や術後に心停止などの緊急事態が生じた場合、地上の医療ガイドラインであるBLS(一次救命処置)、ACLS(二次救命処置)で対応することになると考えられます。しかしその後は、月でも地球帰還までに6-9日を要するため無事に帰還させるまでどう対応するのかは難しい問題です。これらの救命処置により回復が見込めることを考慮に入れ、ガイドラインを定める必要があります。

地上で救急車到着までの間、傷病者の迅速な応急手当を行うことをBLS(Basic Life Support)という     出展:日本ACLS協会

 

将来の構想、宇宙医療ステーションの可能性

宇宙での医療は地上と環境が大きく異なるため、地上の医療での常識は通用しません。そこで、逆に宇宙で微小重力などの特殊環境を生かした医療が提供できないかを考えてみましょう。例えば全身熱傷の治療では、受傷部分がベッドに接触することで感染のリスクが高くなり、地上では非常に難渋するものですが微小重力環境ではベッドに寝かせておく必要がなくなるため、非常に有利になると考えられます。また、長時間うつ伏せとなって行う手術では褥瘡(床ずれ)や無気肺(肺の含気低下)といった問題が生じますが、その問題もなくなります。術中の出血は球形の塊となることが予想されるため、うまく処理する方法があれば術野も見やすくなるかもしれません。さらに、リハビリでは骨折部位など重力負荷をかけたくない部分を気にせず運動ができるので、松葉づえも平行棒も不要です。

地上の患者にこれらの医療を行うには、当然患者を宇宙へ送る輸送手段が最大の問題となりますが、ロケット再利用技術の発達による低コスト化や人体負担の軽減、さらに将来的には宇宙エレベーターなどの構想が実現すれば、不可能でなくなる日が来るのではないでしょうか。脳卒中などによる手足の麻痺がある患者さんや筋力低下した高齢者の方など、地球の重力環境では身体的なハンディが大きい方も身体自由度が大きくUPして、自由に動ける空間を構築できるかもしれません。

宇宙医療ステーションの想像図―微小重力環境を生かした全く新しい医療が可能となるかもしれない

 

有人宇宙活動での医療は現在のところ、医師資格をもつクルーの働きや地上からの遠隔医療サポートが中心です。しかし人類が軌道上に長期滞在したり、月面居住が実現する時代が来たら、一般人であっても現場で医療行為を行う必要性が出てくるはずです。求められるのは宇宙医学の知識と、地上での医療技術を宇宙という特殊環境でどう生かしていくか。また、そのような知識と技術をもつ医療者に対する需要は今後大きく高まっていくでしょう。現在医療関係に携わっている方々は、自分の行っている医療が宇宙ではどのような形で求められるか、少し考えてみませんか?

参考文献

  • 宇宙飛行士に聞いてみた!世界一リアルな宇宙の暮らしQ&A   日本文芸社
  • 5Gビジネス 日経文庫
  • 宇宙医学 マキノ出版
  • 国際宇宙ステーションではどんな生活をしているのか―情報・知識&オピニオン  JAXA大島博 医学博士
  • 宇宙航空環境医学 Vol. 45, No. 3, 75-97, 2008
  • 宇宙・医学・栄養学 篠原出版新社
  • NASA USRP Internship – Final Report  Crew Health Care System (CHeCS) Design Research, Documentations, and Evaluations

投稿者プロフィール

後藤正幸
後藤正幸
「宇宙に、医療を」目標とする脳神経外科医。医療分野での宇宙ビジネス創出を目指して、日々活動中。最新の宇宙医学研究を、多くの人に分かりやすく伝える発信を行なっている。