宇宙でのストレス

こんにちは、外科医の後藤です。今日は宇宙でのストレスについて。宇宙では地上と大きく異なる環境であることから、日常生活一つとっても大きな制約を受けます。代表的な宇宙でのストレス要因として挙げられるのは微小重力、宇宙放射線、精神的ストレスですが、今回は精神心理的ストレスに焦点を当て、人間の脳内ストレスメカニズムから宇宙環境での心理的変化、評価法と対処法についてお話します。

人間の脳内ストレスメカニズム

ストレスを感知するのは脳ですが、これまでの研究からはストレスの種類によって脳が刺激される経路が異なることが明らかにされています。例えば精神的ストレスの場合、下図のように大脳皮質や辺縁系という部分がまず興奮し、それが偏桃体や分界条床核に伝わり視床下部の核を活性化するというメカニズムです。ちなみに身体組織に損傷や痛みが加わって生じる身体的ストレスの場合、生命にとって脅威となり緊急での対応を必要とするときには、痛みを受けた身体の末梢部分から、大脳皮質に伝わらず直接脳幹(延髄)に伝わるという仕組みとなっています。

精神的ストレスの経路 出展:ストレスによる痛みが増強するメカニズム より改変

 

精神的ストレス経路に存在するこれらの核は、脳の中枢部分である脳幹や自律神経とのつながりが深く、ストレスによって引き起こされる身体症状・自律神経症状の発現にも関与しています。精神的ストレスを受けると、我々は怒りやイライラを感じストレス原因と戦おうとしたり、あるいは逃げようとしますが、この時には交感神経系が活性化しノルアドレナリンなどのストレスホルモンの上昇が起こります。しかしストレスとの戦いに負けたり、逃げられなかったりすると血中のコルチゾールというホルモンが上し、免疫系が抑制されて感染症やがんなどに罹患しやすくなったり、アレルギー症状の発症や増悪が起こります。さらに、長期にわたる高度のストレス負荷により海馬という部分が萎縮して、心的外傷後ストレス障害(Post Traumatic Stress Disorder; PTSD)やうつ病などを引き起こすとされています。

脳の前方部分である前頭葉に前頭前野という領域がありますが、最近の研究でストレスはこの前頭前野にも影響を及ぼし、高度な精神機能を奪ってしまうことが分かってきました。前頭前野は、感情や衝動を抑制する機能がありますが、ストレスによる視床下部の活性化により前頭前野の支配が弱まってしまい、不安を感じたり、普段は抑え込んでいる衝動(欲望にまかせた暴飲暴食や薬物乱用、お金の浪費など)に負けたりするという可能性が指摘されています。

宇宙での心理的変化の原因と評価方法

宇宙飛行士が滞在する国際宇宙ステーション(International Space Station; ISS)では、地上と異なる微小重力、閉鎖環境、昼夜リズムの欠如、機械騒音、高度な任務に対する緊張状態、地球社会からの隔絶感、家族との離別、プライバシーの欠如、クルー同士の国籍による言語や習慣の違いなど多くのストレス要因があります。その結果対人関係の問題が起こりやすく、判断力が低下し、攻撃性が上がる傾向がみられます。過去の例では、宇宙での自然科学実験を目的としたスカイラブのミッションで、宇宙飛行士たちがスケジュールに追われるうちに地上の管制官との不和が生じ、交信を断絶するといった事態も起こりました。これらの精神心理的変化はミッション遂行を困難にし、パフォーマンスの低下やヒューマンエラーも発生します。宇宙でのヒューマンエラーは重大事故に直結しかねないため、対策が必須です。

宇宙飛行士が精神的ストレスに侵されず高いパフォーマンスを発揮するために、様々な研究や訓練が実施されています。例えば、宇宙飛行士は搭乗クルーが決定すると、クルー同士で登山や雪山でのサバイバル訓練を行います。これは不時着時のサバイバル技術養成のほか、クルー同士の相互理解を深めチームとしての信頼関係を築き、閉鎖生活でのストレス要因を減らしておくという重要な目的があります。

実際に宇宙滞在中は、飛行士の健康管理を行う医師であるフライトサージャンが週に一度地上からオンライン面接を行い飛行士の様子や顔色をチェックします。さらに2週間に一度は心理カウンセリングを行い、メンタル面の異常を早期発見し対処することとなっています。一般的にストレスはモチベーションや意欲の低下で現れることが多く、質問に対する答えが単調になるなどの変化がみられるため、これを見極めて業務量を調整したり、休養を与えたりといったことが必要のようです。

また、宇宙でのストレスを評価する方法として、JAXAと資生堂は2週間ボランティアに地上の閉鎖環境設備(JAXA筑波宇宙センター)で生活してもらい、どのような心理的変化や反応を起こしやすいかについて共同研究を行いました。その結果、閉鎖環境ストレスがかかった際に「表情のゆがみ」が増えることと、唾液中のコルチゾールが増加することを報告しました。コルチゾールは前述の通り人間のストレスホルモンの一種ですが、起床時に増加し夜にかけて減少する日内変動リズムがあることが知られています。本試験では1日4回(朝、昼、午後、夜)唾液を採取し、閉鎖設備の滞在直後および退出前日に日内変動リズムが乱れ(昼や午後のコルチゾールの値が高まる)、ストレス負荷度が増したことがわかりました。これらの変化は、閉鎖設備退室後には閉鎖設備滞在前の状態に戻りました。コルチゾールの日内変動に注目することで長期ストレスを検出する鋭敏な指標となり、表情の左右差遠隔からのストレス検出を可能にする新たな指標として注目されています。

ストレスホルモンであるコルチゾールは、閉鎖設備滞在直後および退出前日に日内変動リズムが乱れ、ストレス負荷が高まっていることが示された

出展:マイナビニュース JAXAと資生堂、ISSを模した閉鎖環境でストレスに関する共同研究を実施

閉鎖設備滞在中には表情のゆがみ度が増加した  出展:同上

宇宙でのストレスコーピング

一般にストレス対策として、内的ストレスコーピングと外的ストレスコーピングがあります。内的ストレスコーピングはストレス解消のために自分の性格を見つめなおし、状況を冷静に判断し対処する方法です。外的ストレスコーピングはストレス解消を外部に求めていく方法で、専門家に相談したり趣味で気分転換をはかったりという方法です。

宇宙飛行士は閉鎖環境から脱出できず、外的ストレスコーピングの資源は限られています。そのため内的ストレスコーピングの重要性が高く、自分の性格を熟知し自分がどんなストレスに弱いのかを把握する必要があります。宇宙飛行士はそれらの内的ストレスコーピングが高い人々が選出されるわけですが、ミッションに当たってはクルー同士の相性も考慮されるようです。

長期宇宙滞在ではストレスにどう対処すべきか。研究者らはコミュニケーションやチームワーク、意思決定、ストレスマネジメントに関する精神心理的トレーニングを行うことや、モチベーション維持と情動安定のためにエンターテインメントを提供することの重要性を述べています。例えばJAXAでは、軌道上で任務に就く日本人宇宙飛行士のストレスを緩和し、個人の趣味などの嗜好を満たすことを目的として以下を実施しています。

  • テレビ電話による面談:家族友人と実施(週1回15分)、精神心理担当者と実施(2週に1回15分)
  • スケジュール分析、調整による疲労の軽減:業務過多の有無、睡眠時間のチェック
  • コミュニケーション手段の提供:インターネット環境の整備
  • 情報の提供:家族からの手紙や写真、ニュースなどのアップリンク
  • 物品の提供:趣味や嗜好品(雑誌・CDなど)、日本食

以上には挙げられていませんが、「運動」については地上でうつ病の発症率や増悪を明らかに抑制するという多くの研究報告があり、微小重力での筋骨格系の維持という目的のほかに宇宙という特殊環境での精神的ストレス軽減という目的においても、運動には重要な効果があると考えられます。宇宙飛行士は、ISS内で毎日2時間以上のトレッドミルや改良型抵抗運動装置などを用いたトレーニングを義務付けられていますが、今後一般の方が長期宇宙滞在するようになった際に閉鎖空間でこれらを実施することは、少々つらいのではないでしょうか。そこで、宇宙での運動にエンターテインメント要素のある地上のゲーム機器を利用したり、仮想現実(Virtual Reality; VR)の技術を用いて地球の自然の中にいるような体験をしながら行ったりといったアイデアは考えられます。これまで蓄積されてきた宇宙での科学的トレーニングの知見に加え、今後普及が予想されるVRのスポーツ利用の一環として、宇宙での運動への応用が期待されます。

宇宙という閉鎖空間でのストレス予防に、ゲームやVRを生かした地球の自然体験をしながらトレーニングできるメニューが求められる可能性  出展:Nintendo fitness

また、神経科学研究者たちの間では、ストレス障害の治療法に関する研究も進められています。例えば、ストレス時に増加するノルアドレナリンの作用を阻害する薬剤により前頭前野のネットワークを強めることで、ストレス障害が抑制されることが分かってきました。さらに、休養や深呼吸、瞑想、コーヒー豆やラベンダーなどの香りによってストレス抑制が可能であることが科学的に証明されています。さらに、実験動物に対するストレス負荷後の遺伝子発現の解析から、脳と血液の両方からストレス応答因子候補が発見されています。それらのストレス応答因子候補がヒトの血液で証明できれば、健康診断でストレスレベルを客観的に計測・評価することが可能になり、宇宙のみならず地上でも精神障害の予防につながることが期待されます。

宇宙飛行士にはもともとストレス耐性に強く、長期の閉鎖環境でも意欲や協調性を維持できる人物が選ばれています。しかし、宇宙滞在が長期化すればするほど、どんな人間でもストレスの影響は無視できないものとなります。脳のストレス反応はまだ不明な点も多く、これらを明らかにすることは、宇宙空間という特殊環境で人類が生活するための重要なテーマの一つと考えられます。

参考文献

  • 国際宇宙ステーションを模した閉鎖環境でストレスに関する共同研究を実施―ストレスホルモンの日内リズムが乱れ、表情のゆがみ度が増すことを発見― JAXA
  • ストレスと脳  東邦大学理学部生物学科 https://www.toho-u.ac.jp/sci/bio/column/029758.html
  • 宇宙医学入門 マキノ出版
  • ストレスにより痛みが増強する脳メカニズム 日本緩和医療薬学雑誌,  2010
  • 宇宙でのストレス  生体の科学 69(2): 142-146, 2018
  • 閉鎖環境滞在による精神心理的ストレスが唾液・皮膚炎症因子・表情に及ぼす影響 宇宙航空環境医学 Vol. 54, No. 4, 2017

投稿者プロフィール

後藤正幸
後藤正幸
本業は脳神経外科医。日々の臨床に力を注ぐ一方、「宇宙の力で医療を変える」ことを目標に活動中。一般の方向けに、宇宙医学のわかりやすい解説と発信を目指している。

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